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人生の短さについて
私の密かな趣味といえば、
ラテン語と古代ギリシア語の購読。
今読んでいるものの一つに、
セネカの「人生の短さについて」というものがあります。
2000年前に書かれた文章ですが、
現在でも通じる内容があります。
2ヶ月に1回、90分の購読会が開催されていて、
いま4割くらい読み終わりました。
日本語訳で読めば1~2時間で
読める分量なのですが、
数年書けて原典を訳すという、
あるいみ生産性の悪いことをやっています。
私はタイムマネジメントのセミナー講師を
行う身でありますが
(詳細は本文の後にてお知らせあります)
この文章は、時間について考えさせられます。
時間について書かれた文学作品といえば、
ミヒャエル・エンデの「モモ」が有名ですが、
彼はこの「人生の短さについて」を意識して、
これと逆のことを悪役に言わせたという説もあります。
先日の購読会で訳した部分が、
特に考えさせられた文章だったので、
シェアします。
以下、
---で区切ったものが原文。
「 」で区切ったのが私の解釈です
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たとえ僅かであっても、
確かな時間を管理することは、
容易である。
しかし、いつなくなるかを知らない時間については、
いっそうていねいに守られるべきである。
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これをどう解釈するか、
購読会の中でもいろいろ意見がありましたが、
私は次のように解釈しました。
「数日後に締め切りとなっている用事なら、
短い時間でもどうにかやりくりして、達成させる。
しかし、終わりの分からない長い時間がかかることは、
いつでもできると思うので、
短い時間のもの以上に丁寧に行うべきである」
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しかしまた、
『時間がいかに大切か、彼らが知らない』と
あなたが考えることには、理由がない
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「時間が大切なことはみんな分かっている」
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相手の時間の増加なしに、
自分から時間を奪うように。
人は相手に時間を与える。
そのことを理解しないまま、
相手に時間を与える
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2000年前では、儀礼的な時間を
イメージしたようですが…
「SNSや動画を(無目的に)ダラダラ見るのって、
こういうことじゃない?
誰かのために貴重な時間を使うのとは意味が違う」
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しかし、自分の時間を奪うかどうか
気づいていない。
それゆえ、隠れた時間の浪費は、
彼らにとって、耐えられるのである
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時間を大切にする必要があると、
分かっていても実行できない。
なんなら、気づかないうちに、
時間の浪費をしている。
いつの時代も変わらないようです…