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人生の短さについて

2023/01/17

私の密かな趣味といえば、
ラテン語と古代ギリシア語の購読。


今読んでいるものの一つに、
セネカの「人生の短さについて」というものがあります。


2000年前に書かれた文章ですが、
現在でも通じる内容があります。


2ヶ月に1回、90分の購読会が開催されていて、
いま4割くらい読み終わりました。


日本語訳で読めば1~2時間で
読める分量なのですが、

数年書けて原典を訳すという、
あるいみ生産性の悪いことをやっています。


私はタイムマネジメントのセミナー講師
行う身でありますが
(詳細は本文の後にてお知らせあります)

この文章は、時間について考えさせられます。


時間について書かれた文学作品といえば、
ミヒャエル・エンデの「モモ」が有名ですが、

彼はこの「人生の短さについて」を意識して、
これと逆のことを悪役に言わせたという説もあります。


先日の購読会で訳した部分が、
特に考えさせられた文章だったので、
シェアします。


以下、
---で区切ったものが原文。
「  」で区切ったのが私の解釈です


-----
たとえ僅かであっても、
確かな時間を管理することは、
容易である。

しかし、いつなくなるかを知らない時間については、
いっそうていねいに守られるべきである。
-----

これをどう解釈するか、
購読会の中でもいろいろ意見がありましたが、
私は次のように解釈しました。


「数日後に締め切りとなっている用事なら、
 短い時間でもどうにかやりくりして、達成させる。

 しかし、終わりの分からない長い時間がかかることは、
 いつでもできると思うので、
 短い時間のもの以上に丁寧に行うべきである」

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しかしまた、
『時間がいかに大切か、彼らが知らない』と
あなたが考えることには、理由がない
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「時間が大切なことはみんな分かっている」


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相手の時間の増加なしに、
自分から時間を奪うように。
人は相手に時間を与える。

そのことを理解しないまま、
相手に時間を与える
-----

2000年前では、儀礼的な時間を
イメージしたようですが…


「SNSや動画を(無目的に)ダラダラ見るのって、
 こういうことじゃない?
 誰かのために貴重な時間を使うのとは意味が違う」


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しかし、自分の時間を奪うかどうか
気づいていない。

それゆえ、隠れた時間の浪費は、
彼らにとって、耐えられるのである
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時間を大切にする必要があると、
分かっていても実行できない。

なんなら、気づかないうちに、
時間の浪費をしている。


いつの時代も変わらないようです…